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愚かな韓国人!「日帝による強制連行資料」が韓国の反日教育のウソをあばくことに!

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こういう重要な資料はぜひユネスコに世界遺産として登録してほしいな!
   在日韓国朝鮮人犯罪者は自動的に半島に強制送還すべきでしょ!


 なでしこりんです。すでに「まとめサイト」さんでは周知が始まっている、韓国政府が公開し、またもや世界遺産に登録しようとしている「戦時朝鮮人強制労働の証拠」。私はこの証拠資料を見て、「デマに簡単に踊らされる愚かな韓国人の姿」を改めて痛感しました。ほんと、韓国人って救いようのないバカ民族ですね!

     
     http://news.kbs.co.kr/news/view.do?ncd=3146760

  「朝鮮総督府の手紙」の文字起こし(旧漢字は新字体に変換) 

 前略  契約期間が終わる頃となりましたが、此の戦争が続く限り石炭や鉱石が沢山必要でありますから、どうしても帰鮮せねばならぬ特別の事情の無い限り再契約をして引続いて働く 決心をして頂きたいと思ひます。

 その契約は三年でも五年でも長い方がよいのです。早く家族を呼寄せて今の仕事を続ける事が立派な皇国臣民であります。諸君は寮や職場の人と仲よくし、警察署や協和会、会社の人の指導を良く聞くやうにし、また新らしくそちらへ行った方は先輩の教へにも克く従ひ、皆と共に立派な皇国臣民となって楽しく仕事に勢を出す様に心掛けて下さい。 

 之からは段々寒くなりますから、身体に注意して、怪我や病気に罹らないで働くやうに御祈りして居ります。

昭和十六年十月一日  朝鮮総督府
産業戦士諸君 


  昭和16年10月1日の日付が入った朝鮮総督府による「産業戦士諸君」への手紙。何ゆえ韓国政府がこの手紙を「戦時朝鮮人強制労働の証拠」としているのか?そのことについて少し考えてみました。

 日本 の古典文学を学習する人々にとって厄介なのが「文語文」の存在。明治時代以前の日本は「書き言葉と話し言葉は別物」でした。書物を読むには「文語文=書き言葉」の能力が必要だったわけです。それが明治の「文明開化」により「言文一致運動」が行われ、「書き言葉と話し言葉の一致」が進められたわけです。朝鮮総督府による手紙はほぼ言文一致。「歴史的仮名遣い」が散見していますが、現代の日本人なら「ほとんどが読める」はずです。

    
       今で言う「バイリンガル教育」ですね!

 おまけに、ご親切にも「ハングル=朝鮮語」が併記されています。このことって「とても重要」です。バカな韓国人はデマに踊らされて「日本はハングルを奪ったニダ!」とやっていますが、朝鮮半島に5000校もの学校を建てて「ハングル教育」を推進したのが朝鮮総督府。朝鮮総督府が「日本のカイライ」ならば、ハングル教育を保護し推進したのも日本政府ということです。

 韓国政府 が「これが日帝による強制連行資料ニダ!」というのはまさにこっけいでしかありません。現代の韓国人が「漢字を読めない」というのは周知のこと。それにしても「ハングル併記」すら読めないとすると・・・・。おそらく、まともな判断を下せる韓国人は韓国政府の中にはもういないということでしょう。「これも証拠になるニダ」ぐらいの乗りなんでしょうね!

 「日韓併合時代」 のことを「日帝強占期」と教える韓国。「日本帝国主義に強制的に占領された期間」のことを言うらしいですが、もはやここには「歴史的事実から学ぼう」という姿勢は微塵も感じられません。完全な偏向ですね。日本が国際的な要請を受けて行った日韓併合。ロシアの台頭を恐れたアメリカやイギリスが日韓併合を支持していたことは歴史を学べば見えてきます。少なくとも「未開人の面倒を見る」ことを、発展途上中の明治政府が喜び勇んで行ったはずなどないのです。現に今でも「不愉快な思い」を私たち日本人はしているわけですし!

 私たち日本人 は朝鮮人とは「価値観の共有」をしていません。これは道徳観についても言えます。こういう連中との「共生」などはできず、在日韓国朝鮮人による日本への寄生は「白丁強占期(賎民朝鮮人による強引な日本占有期間)」でしかないのです。「他人に暴力をふるう精神障害者は隔離される」のが文明社会のルールでもあります。在日韓国朝鮮人による日本人憎悪の犯罪が増えています。「在日韓国朝鮮人犯罪者は自動的に半島に強制送還」という当たり前のルールの復活が今の日本には必要じゃないでしょうか? By なでしこりん

     

 韓国の第5代~第9代大統領・朴正煕(パク・ チョンヒ)の証言

 日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。
                 
日韓「禁断の歴史」p.212 小学館 2003年10月 金完燮ISBN 4093896518
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95#.E8.A6.AA.E6.97.A5.E5.AE.B6


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